にゃあのあったかな世界

2013年生まれ、精神発達遅滞の長女にゃあの成長を見つめる日記。子育てと、療育と、自分育て。母はもっと大きな愛を注ぎたい。

お友達への関心

今日もじっとり、暑かった。

気温はそこまで高くないけど、湿度が高いと、もうどんな服を着ていても暑苦しくて、不快指数が高くなる。


最近のにゃあちゃんは、幼稚園が楽しくなってきた様子。

家で幼稚園の話をしても嫌がらないし、朝の準備も機嫌よくやっている。

バス停で会う優しいSくんのことが好きなようで、顔を見るとにこにこしている。


公園やお店でも、同じ年頃のお友達、特に女の子を見ると、じーっと見つめ始め、ついていくようになった。

どうも、仲良くなりたい、いっしょにあそんだりしたい様子。


追いかけて、その子がすべろうとしている滑り台の下で待ち構えていたり、ブランコに乗るところを後ろから押してあげようとしたり。


二人乗りの車の遊具に乗り合わせた子をじっと見つめたのち、突然手首を握ったり、ハグしようとしたりする。


勝手な親心としては、にこにこしながらお友達を見つめるにゃあがとてもかわいらしく、また、他の子への関心が出てきたのはすごくいいことだと感じるのだが、


一言も発さぬまま突然体に触れる行為に、相手はちょっと驚くし、中には体をとっさに退ける子や、泣きそうになる小さなお友達もいるので、とっさのフォローをどうしても入れてしまう。


お友達に対しては、「びっくりしたよね、ごめんね。あなたと遊びたいんだって」とか。

にゃあに向かっては、「急に腕をつかんだら、お友達がびっくりするよ」とか。


なんとなく私が抱えてしまっているひけめのような気持ちも入り混じって、相手の子が、または見ている親御さんが変に思わないかと気にしながら、言ってしまうそのような言葉。ほんとうににゃあのためになる声掛けって、なんだろう?

幼稚園ではどんなことが起こっているんだろうか。

ちょっとこわいけど、今度先生に聞いてみなきゃ。


先日も、買い物中に、背格好が同じくらいの女の子がとても気になったらしく、つつつと近寄っていき、きゅっとその子の手首を握ってしまった。

そのときもわたしは、驚かせてしまってことを謝って、「あなたと仲良くなりたいみたい」と、説明した。

すると、いっしょにいたその子のお母さんが、こども達と同じ高さの目線までかがみこんえ、すかさず言った。

「●●ちゃんと仲良くしたいんだって!うれしいね~!」


なんのためらいもない、明るい言葉だった。

そして、お互いバイバイをした後、立ち去りながら「すごいやん、●●ちゃん、人気者やん~!」とお母さんはさらに言っていた。


若い美男美女のご両親だったけど、なんてさわやかに、上手に、こども同士の出会いを後押ししてくれるんだろう!

感動しました。


あんなお母さんになりたいな^^

3歳4か月のことば

にゃあの現在のコミュニケーション力は、非常に心もとない。

片手で数えられる程度の単語のみであり、さらに繰り返し音のものに限定される。

(ママ・もも、とか)


発音も明瞭ではなく、言えない50音もまだたくさんある。


それでも、幼稚園に行き始めた四月以降、機嫌よく歌う鼻歌の種類が増えてきて、本人が何やら楽しそうにしゃべる宇宙語を聞く機会も多くなったと思う。


ことば以外のコミュニケーション法も、なかなか確立できていない。

「うん」「ううん」の意思をなかなか自分から伝えてこようとはしないのだ。


甘いものやおいしそうなものを食べるときは、「これ食べる人ー?」と聞くと、満面の笑みで「あーい」と言って手を挙げる。

いらないとき、嫌な時、こちらの対応が彼女が求めているものと違うときは、首を振る。


知的な遅れや他の障害のあるお子さんの親御さんのブログを読んでも、ここまで意思表示をしない子はいないように思ってしまう^^;

2語文なんて全く夢のような話に思えてしまうのだ。


それから、抽象的なことの理解について。

日々の身の回りの行動や名称については、徐々に覚えているようだ。

ただ、「明日」「昨日」といった時間の概念、自分や他人の行動の理由や感情について、ものごとに順序や、ルールがあるということなど…

表情はとっても豊かなんだけど、日常生活のひとつひとつのやりとりに対する反応が、「単調だ、幼いなあ…」と思ってしまう。


今日もにゃあの長引くぐずりに疲れ果ててしまって、こういう「ないないづくし」の見方にとらわれてしまう自分がいつも悲しい。

夫は、パパのことが大好きなにゃあのご機嫌な姿を見ていることのほうが多いので、

「にゃあはちゃんと分かってるし、すごい成長してるよ!」といつも言う。


内心、「…ほんとか~?」とナナメな考えでつっこみつつ、前向きな言葉はとってもありがたいので、「そうだよね!」と言って受け止める。


もし夫にまで、私の悲観的な物言いに同調されたら、そのときは「なんでそんなこと言えるの!?」と怒っちゃうかもね。非常に勝手な言い分だが、今はそういうあり方で夫婦のバランスをとっているのだ。


障害のあるお子さんの親御さんのブログをいろいろ読むと、みなさんすごく障害について、療育について勉強して取り組んでいる。最近もじっくり読ませてもらっているブログがあるのだが、情報量やご自身が育児で実践された記録が読み応えあることにまずは驚いた。でも、何よりも根底に備わっているのが、そのままのお子さんを可愛いと慈しみ、受け入れ、さらに伸ばせるところを存分に伸ばしていきたいという、強い思いだ。

障害のあるなしではなく、人として、今の時代を生き、仕事についたり、家事に取り組んだり、自分の好きなことを一生懸命続けたり、すべての自分の選択に意味があって、価値があって、自分なりの哲学があるということを感じさせてもらえるような、潔くてさわやかな文章だった。

すごく励まされたし、刺激された。

勉強や療育のツールがたくさんあるように、自分の気持ちも整理してみれば、にゃあの伝えようとしてくることの私の受け止め方も、もっと幅が出て、バリエーションがあるはずだ。


試して、観察して、考えて、進んでいこう。


もっとにゃあといろんな気持ちを共有したい。

日々揺らぐ、母の気持ち

基本的に毎日幸せ。


ときどき怒って、落ち込んで、妬んだり、悲しんだり、


小さな揺らぎがあり、それを隅に追いやりながら過ごしている。


あふれだしてきたときは、夫にぶつける。


私ほど深刻にとらえていない彼は、おおらかに受け流してくれる。


すっごく助けられています。


他にも、テレビでがんばってる女性の姿を見るのも、新聞で共感する投書を読んでも、

昔からの友人と何気ない会話するのも、全部が日々の支えです。

元気になれます。


支えてもらえるありがたさ。自分はだれを支えてあげられる?


こどもたちの人生で最初で最大の支え・母という存在になれるあり難さ。


全国のかあちゃんズ、みんな、がんばろう~。